平成へいせい30年度ねんど  東京都とうきょうと  高校こうこう入にゅう試し問題もんだい  国語こくご

 

 次つぎの  各文かくぶんの  画像を  付つけた  漢字かんじの  読よみがなを  書かけ。

(1)
洋服ようふくの  ほころびを  繕う。
(2)
日本にほんの  伝統的でんとうてきな  舞踊を  鑑賞かんしょう  する。
(3)
午後ごごの  列車れっしゃには  若干の  空くう席せきが  ある。
(4)
善ぜん戦せん  するも  一点いってん  差さで  惜敗  し、優勝ゆうしょうを  逃のがす。
(5)
忙いそがしさに  紛れて、弟おとうとに  頼たのまれた  用事ようじを  忘わすれる。

  

 

 次つぎの  各文かくぶんの  画像を  付つけた  かたかなの  部分ぶぶんに  当あたる  漢字かんじを  楷かい書しょで  書かけ。

(1)
浜辺はまべで  美うつくしい  貝かい殻がらを  ヒロう。 
(2)
母ははの  キョウリから、みかんが  届とどく。 
(3)
今年ことしの  春はるから、姉あねは  図書館としょかんに  キンム  する。 
(4)
幼おさない  妹いもうとたちの  言いい争あらそいを  チュウサイ  する。 
(5)
帰宅きたく  すると、愛犬あいけんが  イキオい  よく  駆かけ寄よって  きた。 

  

 

 次つぎの  文章ぶんしょうを  読よんで、あとの  各問かくといに  答こたえよ。(*印じるしの  付ついて  いる  言葉ことばには、本文ほんぶんの  あとに  〔注ちゅう〕が  ある。)

 

  中学校ちゅうがっこう  一年生いちねんせいの  「わたし」と  後うしろの  席せきに  座すわる  上野うえのとは、小学生しょうがくせいの  時ときは  互たがいの  家いえを  行いき来き  して  遊あそぶ  間あいだ柄がらで  あった。中学校ちゅうがっこう  入学にゅうがく後ご、「わたし」は  陸上部りくじょうぶに  入はいり、上野うえのは  部ぶ活かつに  入はいらなかった  ことも  あって、それぞれ  違ちがう  友人ゆうじんの  輪わの  中なかに  いる  ことが  多おおく  なり、話はなす  機会きかいが  なくなって  いた。

 

  教室きょうしつには  休やすみ  時間じかんの  だらけた  雰囲気ふんいきが  残のこって  いた。わたしも  体からだを  半分はんぶん  上野うえのの  方ほうへ  向むけて  座すわって  いた。しかし  上野うえのに  話はなしかけたくても、どう  接せっして  良よい  ものか  分わからず、話はなしの  糸口いとぐちを  上手うまく  摑つかめないで  いた。

  上野うえのは  辞書じしょを  熱心ねっしんに  読よんで  いた。見みるからに  古ふるく、年季ねんきの  入はいった  辞書じしょだった。四隅よすみが  ぼろぼろで、頁ページも  手垢てあかで  黒くろずんで  いた。箱はこも  なく、白しろかったで  あろう  表紙ひょうしは  ねずみ色いろと  言いって  いいぐらいで、金色きんいろの  題だい字じは  剥はがれて  ほとんど  残のこって  いない。しかし  そんな  辞書じしょとは  対照的たいしょうてきに、それを  読よむ  上野うえのの  目めは  爛々らんらんと  輝かがやいて  いた。彼かれの  目めに  わたしの  姿すがたは  映うつって  おらず、わたしは  不思議ふしぎと  苛立いらだちを  覚おぼえ、気きが  付ついた  時ときには  乱暴らんぼうに  言葉ことばを  発はっして  いた。

「お前まえ、汚きたない  辞書じしょ  使つかってんな。」

  言葉ことばが  舌したの  上うえを  通とおり抜ぬけた  瞬間しゅんかんから、激はげしい  後悔こうかいが  襲おそった。たしかに  上野うえのの  使つかって  いる  辞書じしょは、お世せ辞じにも  綺麗きれいとは  言いい難がたい  代しろ物ものだった。だからと  いって、他ほかに  いくらでも  言いいようが  あっただろう。わたしは  自分じぶんの  声こえが  周まわりに  聞きこえて  いる  ことも  十分じゅうぶんに  意識いしき  して  いた。お前まえ、汚きたない  辞書じしょ  使つかってんな。鼓こ動どうが  激はげしく  なる  中なか、顔かおを  あげた  上野うえのと  目めが  合あった。つぶらな、大おおきな  目めだった。こちらを  じっと  見みつめかえしながら  彼かれは  言いった。

「うん、母かあさんが  くれたんだ。大学だいがくの  時ときに  買かって  もらった  辞書じしょなんだって。」

  屈くっ託たくも  *衒てらいも  ない  言いい方かただった。わたしは  彼かれが  言いおうと  した  ことが  何なに  一ひとつ  呑のみ込こめずに  いた。どうして  上野うえのの  母ははが  出でて  来くるのか、ダイガクとは  何なにか、だから  どうだと  いうのか、わたしには  よく  分わからなかった。しかし、何なによりも  その  口調くちょうが  わたしの  心こころを  打ぶった。それは  昔むかしと  変かわらない、心こころを  許ゆるした  相手あいてにだけ  向むけた  穏おだやかな  話はなし方かただった。(1)わたしは  ろくに  返事へんじも  できず、ちょうど  先生せんせいが  教室きょうしつへ  入はいって  きたのを  良よい  事ことに、上野うえのに  背せを  向むけた。

  授業じゅぎょうが  始はじまっても、内容ないようは  頭あたまに  入はいって  来こなかった。こちらを  見みつめかえした  上野うえのの  目めの  印象いんしょうが  なかなか  頭あたまから  去さらなかった。振ふり払はらおうと  必死ひっしに  なる  度たびに、後うしろから  辞書じしょを  めくる  音おとが  聞きこえた。時とき折おり、紙かみが  折おれたり  頁ページが  破やぶけたり  する  音おとも  混まじって  いた。わたしは  一二度いちにど  そっと  振ふり返かえりも  したが、上野うえのは  こちらに  気付きづく  素そ振ぶりも  なく、相変あいかわらず  目めを  輝かがやかせながら  辞書じしょを  引ひいて  いた。

  わたしは  先さきほどの  上野うえのの  言葉ことばに  思おもいを  めぐらせた。上野うえのの  母親ははおやには、何度なんどか  会あった  ことが  あった。大たい概がいは  彼かれの  家いえに  いる  時ときで、二人ふたりで  遊あそんで  いると  夕方ゆうがたごろに  どこからか  帰かえって  きて、二言ふたこと  三言みこと  挨あい拶さつを  交かわした。いつも  黒くろい  髪かみを  後うしろに  束たばね、忙いそがしそうに  して  いた。しかし、もっとも  印象いんしょうに  残のこって  いるのは、彼女かのじょが  書しょ斎さいに  居いた  姿すがただった。トイレを  借かりた  帰かえりの  廊下ろうかで、いつもは  閉とじて  いる  部屋へやの  ドアが  開ひらいて  いるのに  わたしは  気きが  付ついた。人ひとの  気配けはいが  したので、わたしは  気きに  なって  覗のぞいて  みると、そこに  上野うえのの  母親ははおやが  いた。書しょ棚だなに  囲かこまれた  机つくえに  大おおきな  本ほんを  何冊なんさつか  広ひろげながら、はっと  するほど  冷つめたい  横よこ顔がおで  座すわって  いた。調しらべごとか、考かんがえ事ごとを  して  いる  風ふうだった。(2)二重ふたえの  目めは  いつも  以上いじょうに  大おおきく  開ひらかれ、遠とおい  場所ばしょを  追おって  いた。まるで  目めの  前まえの  本ほんでは  なく、その  向むこう側がわに  いる  誰だれかを  見みつめて  いるようだった。

  上野うえのの  母ははの  白しろい  手てが  頁ページを  めくった  音おとで  わたしは  我われに  返かえり、見みては  ならない  ものを  見みた  気きが  して  黙だまって  その  場ばを  後あとに  した。自分じぶんは  なぜ  あれほど  動揺どうよう  したのだろうか。もしか  したら  大だいの  大人おとなが  勉強べんきょうを  して  いる  姿すがたを  見みたのが  初はじめてだったからかも  しれない。自宅じたくに  帰かえってから、わたしは  自分じぶんの  親おやに  上野うえのの  家いえで  見みた  ことを  率直そっちょくに  告つげた。母親ははおやからは、上野うえのの  母ははは  「ガクシャ」だからと  いう  答こたえが  返かえって  きたのを  覚おぼえて  いる。

  わたしには  「ガクシャ」も  「ダイガク」も  「母かあさんが  くれたんだ」と  いう  言葉ことばも、そして  辞書じしょを  めくる  音おとの  意味いみも  うまく  咀嚼そしゃく  できない  まま  授業じゅぎょうは  終おわりを  告つげた。自分じぶんの  失しつ言げんの  せいも  あって、上野うえのとの  間あいだに  いっそうの  隔へだたりを  感かんじ、わたしは  それっきり  上野うえのと  会話かいわを  交かわす  ことが  なかった。

  秋あきの  新人しんじん戦せんに  向むけて  多た忙ぼうな  時期じきでも  あり、友人ゆうじん達たちと  大声おおごえで  笑わらい合あう  うちに、わたしは  辞書じしょの  ことを  忘わすれ、国語こくごの  授業中じゅぎょうちゅうに  聞きこえる  紙かみの  音おとも  次第しだいに  気きに  ならなく  なった。わたしの  未み使用しようの  辞書じしょは  教室きょうしつの  後うしろの  ロッカーに  入いれられた  まま  放置ほうち  された。

  しばらく  後あとの  美術びじゅつの  授業じゅぎょうでの  ことだった。わたしは  試合しあいで  使つかう  予定よていの  スパイク  シューズの  絵えを  描かいて  いた。思おもい入いれの  ある  持もち物ものを  題材だいざいに  選えらぶように  言いわれ、わたしは  迷まよわず  卸おろし立たての  スパイクを  選えらんだ。青あおい  ラインの  入はいった  スパイクの  靴くつ底ぞこからは  八本はちほんの  釘くぎが  鋭するどく  光ひかって  いた。

  ふと  筆ふでを  休やすめた  時ときに、斜ななめ  向むかいの  班はんに  上野うえのが  いるのが  目めに  入はいった。わたしの  胸むねに  思おもい出だしたく  ない  ものが  ぶり返かえして  きた。彼かれの  前まえに、あの  辞書じしょが  あったからだ。改あらためて  見みると、くすんだ  白しろい  表紙ひょうしは  辞書じしょ  そのものから  ほとんど  取とれかけて  いる。あんな  みすぼらしい  辞書じしょでは  不恰好ぶかっこうな  絵えに  なるに  違ちがい  ないのに、どうして  題材だいざいに  選えらんだのだろうと  思おもった。

  途端とたん、おそろしく  身み勝手がってで  愚おろかな  邪じゃ推すいが、つまり、わたしへの  当あてつけで  あの  辞書じしょを  描かこうと  して  いるのでは  ないかと  いう  考かんがえが  わたしの  頭あたまに  浮うかんだ。そう  思おもった  瞬間しゅんかんに  上野うえのが  顔かおを  上あげ、また  視線しせんが  交こう錯さく  しそうに  なった。(3)わたしは  すぐに  目めを  伏ふせ、絵えの具ぐを  混まぜる  振ふりを  して  やり過すごした。出鱈目でたらめに  色いろを  混まぜながら、上野うえのが  辞書じしょを  引ひっ込こめて、別べつの  物ものを  題材だいざいに  選えらんで  くれたら  いいのにと  願ねがったが、上野うえのは  辞書じしょの  絵えを  描かき続つづけた。

  陸上部りくじょうぶの  秋季しゅうき  大会たいかいは  惨憺さんたんたる  結果けっかで、自己じこ  ベストにすら  遠とおく  及およばず、慣なれない  靴くつの  ために  足首あしくびを  捻ひねって  最後さいごの  跳躍ちょうやくも  叶かなわなかった。学校がっこう  行事ぎょうじも  遠足えんそくに  期末きまつ  試験しけんと  慌あわただしく  続つづき、あっと  いう  間まに  冬休ふゆやすみが  訪おとずれた。一年いちねん  前まえは  暇ひまさえ  あれば  上野うえのの  家いえの  インターホンを  鳴ならしに  行いったが、年末ねんまつ  年ねん始しは  部ぶ活かつも  さほど  なく、わたしは  所在しょざいなく  冬休ふゆやすみを  過すごした。

  年としが  明あけ、一年生いちねんせい  最後さいごの  学期がっきが  始はじまった。美術びじゅつの  時間じかんでは、二学期にがっきに  描かいた  絵えが  返へん却きゃく  された。わたしの  スパイクは  べたっと  した  単調たんちょうな  絵えで、どう  見みても  それは  地上ちじょうから  跳とび上あがる  ための  道具どうぐに  見みえなかった。秋季しゅうき  大会たいかいの  ことも  思おもい出だされ、わたしは  すぐさま  絵えを  作業さぎょう台だいの  下したに  隠かくした。そして、そのまま  美術びじゅつ室しつに  絵えを  忘わすれて  きて  しまった。誰だれかに  見みられると  恥はずかしいので、放課後ほうかごに  部ぶ活かつに  行いく  振ふりを  して  こっそりと  取とりに  行いった。

  美術びじゅつ室しつは  閉しまって  いた。隣となりの  準備じゅんび室しつにも  先生せんせいは  おらず、わたしは  しばらく  廊下ろうかを  うろつき、展示てんじ  されて  いる  作品さくひんを  眺ながめた。廊下ろうかには  出来できの  良よかった  作品さくひんが  幾いくつか  数珠じゅず繋つなぎに  吊つる  されて  いた。どの  絵えも  わたしのより  上手うまく  描かけて  いたが、だからと  言いって  わたしと  関かかわり合あいの  あるものには  感かんじられなかった。

  職員室しょくいんしつに  先生せんせいを  探さがしに  行いこうかと  考かんがえ、絵えの  前まえを  引ひき返かえして  いると、その  中なかの  一枚いちまいが  目めに  留とまった。上野うえのの  絵えだった。一番いちばん  隅すみに  あったので  見逃みのがして  いたのだ。わたしは  足あしを  停とめ、そこに  描かかれた  あの  辞書じしょを  見みた。辞書じしょは  本物ほんもの  そのものの様ように  汚よごれが  目立めだち、日ひに  焼やけて  くすんで  いた。絵えに  鼻はなを  近ちかづけたら、古ふるびた  紙かみの  匂においまで  漂ただよって  きそうだった。開ひらかれた  辞書じしょを  ぼんやりと  した  光ひかりの  帯おびが  包つつみこんで  いた。

  忘わすれて  いた  嫌いやな  感情かんじょうが  よみがえって  きそうに  なった。しかし  わたしは  奇妙きみょうに  その  絵えに  引ひき寄よせられて  いた。よくよく  見みると、辞書じしょの  くすみや  汚よごれは、出で鱈たら目めに  つけられた  ものでは  ない  ことが  わかった。まるで  雪原せつげんの  足跡あしあとのような、その  一ひとつ  一ひとつが  辞書じしょに  ついた  人ひとの  指紋しもんの  形かたちを  成なして  いた。指ゆび跡あとは  見開みひらきの  頁ページばかりで  なく、辞書じしょの  側面そくめんにも  びっしりと  描かかれて  いた。わたしは  上野うえのの  手てと  彼かれの  母親ははおやの  姿すがたを  思おもい出だした。(4)上野うえのが  何故なぜ  あれほど  熱心ねっしんに  辞書じしょを  見みて  いたのか  分わかった  気きが  した。

  すると、辞書じしょの  周まわりに  あった、単たんなる  光ひかりの  筋すじだと  思おもわれた  ものが、辞書じしょへ  伸のびる  指ゆびで  あり  腕うでで、一冊いっさつの  書物しょもつへ  向むかって  何度なんども  伸のばされた  ものの  残ざん像ぞうで  ある  ことに  気きが  付ついた。細ほそく  白しろい  幾いくつもの  手てが  辞書じしょを  目指めざし、あるいは  その  遥はるか  向むこう側がわへ  向むかって  伸のばされ、互たがいを  支ささえ合あうように  して  幾重いくえもの  層そうを  成なして  いた。

  唐突とうとつに、わたしの  なかの  靄もやが  晴はれて  いった。上野うえのの  母親ははおやの  視線しせんの  ゆくえも  理解りかい  できる  気きが  した。彼女かのじょの  姿すがたに  上野うえのが  重かさなって  ゆき、わたしは  受うけ継つがれて  いく  人ひとの  営いとなみを  感かんじずには  いられなかった。そう  思おもうと、わたしの  目めには  辞書じしょに  書かかれて  いる  字じすらも  人々ひとびとの  指ゆび跡あとで  出来できて  いるように  映うつった。(5)それに  指ゆびを  重かさねるように、そっと  わたしは  手てを  伸のばして  いた画像。

(澤西さわにし  祐ゆう典てん  「辞書じしょに  描かかれた  もの」に  よる)

〔注ちゅう〕

衒てらい画像ひけらかす  こと。

  

 

 

〔問とい1〕  (1)わたしは  ろくに  返事へんじも  できず、ちょうど  先生せんせいが  教室きょうしつへ  入いって  きたのを  良よい  事ことに、上野うえのに  背せを  向むけた。と  あるが、「わたし」が  「ろくに  返事へんじも  できず、ちょうど  先生せんせいが  教室きょうしつへ  入いって  きたのを  良よい  事ことに、上野うえのに  背せを  向むけた」  わけと  して  最もっとも  適切てきせつなのは、次つぎの  うちでは  どれか。

 

ア
 淡たん々たんと  した  口調くちょうで  あったが、今いままでに  ないほど  強つよい  まなざしで  上野うえのが  見みつめて  くるので、何なにを  言いっても  許ゆるして  もらえないと  思おもったから。
イ
 温おん和わな  言葉ことばで  話はなす  上野うえのに  比くらべ、自分じぶんは  あまりに  ひどい  ことを  言いって  しまったと  気付きづき、謝あやまりたいと  思おもいつつも  決心けっしんが  つかなかったから。
ウ
 上野うえのに  無視むし  されたように  感かんじて  思おもわず  心無こころない  言葉ことばを  発はっしたが、打うち解とけた  話はなし方かたに  驚おどろき、何なにと  答こたえて  よいか  分わからなく  なったから。
エ
 自分じぶんには  理解りかい  できない  話題わだいに  ついて、遠えん慮りょも  気遣きづかいも  ない  言いい方かたで  話はなして  くる  上野うえのの  態度たいどを  不審ふしんに  思おもい、何なにも  言いえなく  なったから。

  

 

〔問とい2〕  (2)二重ふたえの  目めは  いつも  以上いじょうに  大おおきく  開ひらかれ、遠とおい  場所ばしょを  追おって  いた。まるで  目めの  前まえの  本ほんでは  なく、その  向むこう側がわに  いる  誰だれかを  見みつめて  いるようだった。と  あるが、この  表現ひょうげんに  ついて  述のべた  ものと  して  最もっとも  適切てきせつなのは、次つぎの  うちでは  どれか。

 

ア
  たくさんの  本ほんを  読よもうと  意気込いきごむ  上野うえのの  母ははの  様子ようすを、生いき生いきと  表現ひょうげん  すると  ともに、たとえを  用もちいる  ことで  躍動的やくどうてきに  表現ひょうげん  して  いる。
イ
  本ほんを  読よんで  思索しさくに  ふける  上野うえのの  母ははの  様子ようすを、豊ゆたかな  感覚かんかくで  捉とらえて  表現ひょうげん  すると  ともに、たとえを  用もちいる  ことで  印象的いんしょうてきに  表現ひょうげん  して  いる。
ウ
  昔むかし  会あった  人ひとを  本ほんで  調しらべる  上野うえのの  母ははの  様子ようすを、時間じかんの  経過けいかに  従したがって  表現ひょうげん  すると  ともに、たとえを  用もちいる  ことで  説明的せつめいてきに  表現ひょうげん  して  いる。
エ
  息子むすこの  友人ゆうじんを  無視むし  して  本ほんを  読よむ  上野うえのの  母ははの  様子ようすを、ありのままに  表現ひょうげん  すると  ともに、たとえを  用もちいる  ことで  写しゃ実じつ的てきに  表現ひょうげん  して  いる。

  

 

〔問とい3〕  (3)わたしは  すぐに  目めを  伏ふせ、絵えの具ぐを  混まぜる  振ふりを  して  やり過すごした。と  あるが、この  表現ひょうげんから  読よみ取とれる  「わたし」の  様子ようすと  して  最もっとも  適切てきせつなのは、次つぎの  うちでは  どれか。

 

ア
  上野うえのは  辞書じしょを  けなした  自分じぶんを  今いまでも  受うけ入いれて  いないと  気付きづいて、目めを  合あわせる  ことは  できないと  思おもい、関かかわらないように  して  いる  様子ようす。
イ
  絵えの  題材だいざいと  して  辞書じしょを  選えらばないで  ほしいと  いう  自分じぶんの  勝手かってな  願ねがいが、上野うえのに  気付きづかれそうに  なった  ことに  動どう転てん  し、うろたえて  いる  様子ようす。
ウ
 先日せんじつの  失しつ言げんを  思おもい出だして  嫌いやな  気持きもちに  なったので、今日きょうは  上野うえのに  何なにも  言いわないように  しようと  思おもい、絵えを  描かく  ことに  集中しゅうちゅう  して  いる  様子ようす。
エ
 辞書じしょを  描かくのは  自分じぶんを  非難ひなん  する  ためでは  ないかと  いう  疑うたがいを  上野うえのに  悟さとられないように、とっさに  下したを  向むき、平静へいせいを  よそおって  いる  様子ようす。

  

 

〔問とい4〕  (4)上野うえのが  何故なぜ  あれほど  熱心ねっしんに  辞書じしょを  見みて  いたのか  分わかった  気きが  した。と  あるが、「わたし」が  「上野うえのが  何故なぜ  あれほど  熱心ねっしんに  辞書じしょを  見みて  いたのか  分わかった  気きが  した」  わけと  して  最もっとも  適切てきせつなのは、次つぎの  うちでは  どれか。

 

ア
  丹念たんねんに  描かかれた  指ゆび跡あとを  見みて、真摯しんしに  学まなぶ  母ははの  姿すがたが  重かさねられて  いるように  感かんじ、書しょ斎さいでの  母ははの  様子ようすと  辞書じしょを  読よむ  上野うえのの  様子ようすが  結むすび付ついたから。
イ
  無数むすうの  指ゆび跡あとは、努力どりょく  して  学まなんだ  母ははの  姿すがたに  あこがれて  描かいた  ものだと  気付きづき、母ははの  引ひき方かたを  まねて  上野うえのは  頁ページを  めくって  いると  確信かくしん  したから。
ウ
  絵えに  描かかれた  指ゆび跡あとを  見みて  いると、頁ページを  めくる  母ははの  手ての  動うごきが  想像そうぞう  でき、その  動うごきは  辞書じしょを  読よむ  上野うえのの  手ての  動うごきと  同おなじだと  気きが  付ついたから。
エ
  上野うえのが  描かいた  絵えを  丁寧ていねいに  見みる  ことで、辞書じしょに  ついた  くすみや  汚よごれが、実じつは  母ははが  何度なんども  引ひいた  ときに  ついた  指ゆび跡あとだったのだと  分わかったから。

  

 

〔問とい5〕  (5)それに  指ゆびを  重かさねるように、そっと  わたしは  手てを  伸のばして  いた画像。と  あるが、この  ときの  「わたし」の  気持きもちに  最もっとも  近ちかいのは、次つぎの  うちでは  どれか。

 

ア
  辞書じしょの  文字もじを  読よむ  ことで  知識ちしきを  増ふやして  いくと  いう  過去かこから  脈みゃく々みゃくと  人間にんげんが  続つづけて  きた  営いとなみを、母ははから  受うけ継ついだ  辞書じしょを  描かく  ことで、自分じぶんに  教おしえようと  した  上野うえのに  対たいして  感かん謝しゃ  したいと  思おもう  気持きもち。
イ
  先人せんじんの  知識ちしきが  凝縮ぎょうしゅく  して  いる  文字もじを  学まなんで  後世こうせいに  伝つたえると  いう  人間にんげんが  続つづけて  きた  営いとなみを、上野うえのは  学者がくしゃに  なる  ことで  母ははから  受うけ継つごうと  して  いるのだと  分わかり、自分じぶんも  負まけずに  勉強べんきょう  したいと  思おもう  気持きもち。
ウ
  過去かこの  人々ひとびとが  文字もじで  残のこした  知識ちしきに  ついて  学まなぶと  いう  人間にんげんが  続つづけて  きた  営いとなみを、上野うえのが  受うけ継つごうと  して  いる  ことに  気付きづかずに、母ははから  もらった  大切たいせつな  辞書じしょを  汚きたないと  言いった  ことを  謝あやまりたいと  思おもう  気持きもち。
エ
  昔むかしの  人々ひとびとが  伝つたえようと  した  知識ちしきを  文字もじに  よって  学まなぶと  いう  人間にんげんが  続つづけて  きた  営いとなみを、母ははと  同おなじように  上野うえのが  受うけ継つごうと  して  いるように  感かんじ、自分じぶんも  その  営いとなみの  一端いったんに  触ふれて  みたいと  思おもう  気持きもち。

  

 

 次つぎの  文章ぶんしょうを  読よんで、あとの  各問かくといに  答こたえよ。(*印じるしの  付ついて  いる  言葉ことばには、本文ほんぶんの  あとに  〔注ちゅう〕が  ある。)

 

  私わたしが  何なにごとかを  なす  とき、私わたしは  意志いしを  もって  自分じぶんで  その  行為こういを  遂行すいこう  して  いるように  感かんじる。また  人ひとが  何なにごとかを  なすのを  見みると、私わたしは  その  人ひとが  意志いしを  もって  自分じぶんで  その  行為こういを  遂行すいこう  して  いるように  感かんじる。(1)しかし、「自分じぶんで」が  いったい  何なにを  指さして  いるのかを  決定けってい  するのは  容易よういでは  ないし、「意志いし」を  行為こういの  源泉げんせんと  考かんがえるのも  難むずかしい。(第一段だいいちだん)

  この  ことは  心こころの  中なかで  起おこる  ことを  例れいに  すると  より  分わかりやすく  なるかも  しれない。たとえば、「想おもいに  耽ふける」と  いった  事態じたいは  どうだろうか。私わたしが  想おもいに  耽ふけるのだと  すれば、想おもいに  耽ふけるのは  確たしかに  私わたしだ。だが、想おもいに  耽ふけると  いう  *プロセスが  スタート  する  その  最初さいしょに  私わたしの  意志いしが  あるとは  思おもえない。私わたしは  「想おもいに  耽ふけるぞ」と  思おもって  そう  する  わけでは  ない。何なんらかの  条件じょうけんが  満みたされる  ことで、その  プロセスが  スタート  するので  ある。また、想おもいに  耽ふける  とき、私わたしは  心こころの  中なかで  様さま々ざまな  想そう念ねんが  自動的じどうてきに  展開てんかい  したり、過去かこの  場面ばめんが  回想かいそうと  して  現あらわれ出でたり  するのを  感かんじるが、その  プロセスは  私わたしの  思おもい通どおりには  ならない。意志いしは  想おもいに  耽ふける  プロセスを  操作そうさ  して  いない。(第二段だいにだん)

  心こころの  中なかで  起おこる  ことが  直接ちょくせつに  他者たしゃと  関係かんけい  する  場合ばあいを  考かんがえて  みると、事態じたいは  もっと  分わかりやすく  なる。謝罪しゃざいを  求もとめられた  場合ばあいを  考かんがえて  みよう。私わたしが  何なんらかの  過あやまちを  犯おかし、相手あいてを  傷きずつけたり、周まわりに  損害そんがいを  及およぼしたり  した  ために、他者たしゃが  謝罪しゃざいを  求もとめる。その  場合ばあい、私わたしが  「自分じぶんの  過あやまちを  反省はんせい  して、相手あいてに  謝あやまるぞ」と  *意志いし  しただけでは  ダメで  ある。心こころの  中なかに  「私わたしが  悪わるかった画像」と  いう  気持きもちが  現あらわれて  こなければ、他者たしゃの  要求ようきゅうに  応こたえる  ことは  できない。そして  そう  した  気持きもちが  現あらわれる  ためには、心こころの  中なかで  諸々もろもろの  想そう念ねんを  めぐる  実じつに  様さま々ざまな  条件じょうけんが  満みたされねば  ならないだろう。(第三段だいさんだん)

  逆ぎゃくの  立場たちばに  立たって  考かんがえて  みれば  よい。相手あいてに  謝罪しゃざいを  求もとめた  とき、その  相手あいてが  どれだけ  「私わたしが  悪わるかった」  「すみません」  「謝あやまります」  「反省はんせい  して  います」と  述のべても、それだけで  相手あいてを  許ゆるす  ことは  できない。謝罪しゃざい  する  気持きもちが  相手あいての  心こころの  中なかに  現あらわれて  いなければ、それを  謝罪しゃざいと  して  受うけ入いれる  ことは  できない。そう  した  気持きもちの  現あらわれを  感かんじた  とき、私わたしは  自分じぶんの  中なかに  「許ゆるそう」と  いう  気持きもちの  現あらわれを  感かんじる。もちろん、相手あいての  心こころを  覗のぞく  ことは  できない。だから、相手あいてが  偽いつわったり、それに  騙だまされたりと  いった  ことも  当然とうぜん  考かんがえられる。だが、それは  問題もんだいでは  ない。重要じゅうようなのは、謝罪しゃざいが  求もとめられた  とき、実際じっさいに  求もとめられて  いるのは  何なにかと  いう  ことで  ある。確たしかに  私わたしは  「謝あやまります」と  言いう。しかし、実際じっさいには、私わたしが  謝あやまるのでは  ない。私わたしの  中なかに、私わたしの  心こころの  中なかに、謝あやまる  気持きもちが  現あらわれる  ことこそが  本質的ほんしつてきなので  ある。(第四段だいよんだん)

  こう  して  考かんがえて  みると、「私わたしが  何なにごとかを  なす」と  いう  文ぶんは  意外いがいにも  複雑ふくざつな  ものに  思おもえて  くる。と  いうのも、「私わたしが  何なにごとかを  なす」と  いう  仕方しかたで  指さし示しめされる  事態じたいや  行為こういで  あっても、細こまかく  検討けんとう  して  みると、私わたしが  それを  自分じぶんで  意志いしを  もって  遂行すいこう  して  いるとは  言いいきれないからで  ある。(第五段だいごだん)

  謝あやまると  いうのは、私わたしの  心こころの  中なかに  謝罪しゃざいの  気持きもちが  現あらわれ出でる  ことで  あろうし、想おもいに  耽ふけると  いうのも、そのような  プロセスが  私わたしの  頭あたまの  中なかで  進行しんこう  して  いる  ことで  あろう。にも  かかわらず、われわれは  そう  した  事態じたいや  行為こういを、「私わたしが  何なにごとかを  なす」と  いう  仕方しかたで  表現ひょうげん  する。と  いうか、そう  表現ひょうげん  せざるを  えない。(第六段だいろくだん)

  「私わたしが  何なにごとかを  なす」と  いう  文ぶんは、「能のう動どう」と  形容けいよう  される  形式けいしきの  もとに  ある。たった  今いま  われわれが  確認かくにん  したのは、能のう動どうの  形式けいしきで  表現ひょうげん  される  事態じたいや  行為こういが、実際じっさいには、能のう動どう性せいの  *カテゴリーに  収おさまりきらないと  いう  ことで  ある。能のう動どうの  形式けいしきで  表現ひょうげん  される  事態じたいや  行為こういで  あろうとも、それを  能のう動どうの  概念がいねんに  よって  説明せつめい  できるとは  限かぎらない。「私わたしが  謝罪しゃざい  する」  ことが  要求ようきゅう  されたと  しても、そこで  実際じっさいに  要求ようきゅう  されて  いるのは、私わたしが  謝罪しゃざい  する  ことでは  ない。私わたしの  中なかに  謝罪しゃざいの  気持きもちが  現あらわれ出でる  ことなのだ。(第七段だいななだん)

  能のう動どうとは  呼よべない  状態じょうたいの  ことを、われわれは  「受じゅ動どう」と  呼よぶ。受じゅ動どうとは、文字通もじどおり、受うけ身みに  なって  何なにかを  蒙こうむる  ことで  ある。能のう動どうが  「する」を  指さすと  すれば、受じゅ動どうは  「される」を  指さす。たとえば  「何なにごとかが  私わたしに  よって  なされる」  とき、その  「何なにごとか」は  私わたしから  作用さようを  受うける。ならば、能のう動どうの  形式けいしきでは  説明せつめい  できない  事態じたいや  行為こういは、それと  ちょうど  対ついを  なす  受じゅ動どうの  形式けいしきに  よって  説明せつめい  すれば  よいと  いう  ことに  なるだろうか。(第八段だいはちだん)

  確たしかに、謝罪しゃざい  する  ことは  能のう動どうとは  言いいきれなかった。だが、それらを  受じゅ動どうで  表現ひょうげん  する  ことは  とても  できそうに  ない。「私わたしが  歩あるく」を  「私わたしが  歩あるかされて  いる」と  言いい換かえられるとは  思おもえないし、謝罪しゃざいが  求もとめられて  いる  場面ばめんで  「私わたしは  謝罪しゃざい  させられて  いる」と  口くちに  したら  どう  いう  ことに  なるかは  わざわざ  言いうまでも  ない。(第九段だいきゅうだん)

  能のう動どうと  受じゅ動どうの  区別くべつは、全すべての  行為こういを  「する」か  「される」かに  配分はいぶん  する  ことを  求もとめる。しかし、こう  考かんがえて  みると、この  区別くべつは  非常ひじょうに  不便ふべんで  不正確ふせいかくな  ものだ。能のう動どうの  形式けいしきが  表現ひょうげん  する  事態じたいや  行為こういは  能のう動どう性せいの  カテゴリーに  うまく  一致いっち  しないし、だからと  いって  それらを  受じゅ動どうの  形式けいしきで  表現ひょうげん  できる  わけでも  ない。(第十段だいじゅうだん)

  だが、それにも  かかわらず、われわれは  この  区別くべつを  使つかって  いる。そして  それを  使つかわざるを  えない。どうしてなのだろうか。もう  一度いちど、能のう動どうの  方ほうから  考かんがえ直なおして  みよう。(2)われわれは、「私わたしが  何なにごとかを  なす」と  いう  文ぶんが  もつ  曖昧あいまいさを  指摘してき  した。たとえば  「私わたしが  歩あるく」が  指さし示しめして  いる  事態じたいとは、実際じっさいには、「私わたしの  もとで  歩ほ行こうが  実現じつげん  されて  いる」  ことだ。(第十一段だいじゅういちだん)

  では、この  二ふたつは、いったい  どこが  どう  ずれて  いるのだろうか。「私わたしが  歩あるく」と  「私わたしの  もとで  歩ほ行こうが  実現じつげん  されて  いる」の  決定的けっていてきな  違ちがいは  何なんだろうか。「私わたしが  歩あるく」から  「私わたしの  もとで  歩ほ行こうが  実現じつげん  されて  いる」を  引ひいたら、何なにが  残のこるだろうか。(第十二段だいじゅうにだん)

  能のう動どうの  形式けいしきは、意志いしの  存在そんざいを  強つよく  アピール  する。この  形式けいしきは、事態じたいや  行為こういの  出発点しゅっぱつてんが  「私わたし」に  あり、また  「私わたし」こそが  その  原動力げんどうりょくで  ある  ことを  強調きょうちょう  する。その  際さい、「私わたし」の  中なかに  想定そうてい  されて  いるのが  意志いしで  ある。つまり  「私わたしが  歩あるく」は  私わたしの  意志いしの  存在そんざいを  喚起かんき  する。しかし、「私わたしの  もとで  歩ほ行こうが  実現じつげん  されて  いる」は  そうでは  ない。(第十三段だいじゅうさんだん)

  意志いしとは  実じつに  身近みじかな  概念がいねんで  ある。日常にちじょうでも  よく  用もちいられる。だが、それは  同時どうじに  謎なぞめいた  概念がいねんでも  ある。意志いしとは  一般いっぱんに、目的もくてきや  計画けいかくを  実現じつげん  しようと  する  精神せいしんの  働はたらきを  指さす。意志いしは  実現じつげんに  向むかって  いるのだから、何なんらかの  力ちから、あるいは  原動力げんどうりょくで  ある。ただし、力ちから  ないし  原動力げんどうりょくとは  いっても、制御せいぎょ  されて  いない  剥むき出だしの  衝しょう動どうのような  ものでは  ない。意志いしは  目的もくてきや  計画けいかくを  もって  いるので  あって、その  意味いみで  意志いしは  意識いしきと  結むすびついて  いる。意志いしは  自分じぶんや  周囲しゅういの  様さま々ざまな  条件じょうけんを  意識いしき  しながら  働はたらきを  なす。おそらく  無意識むいしきの  うちに  なされた  ことは  意志いしを  もって  なされたとは  見みなされない。(第十四段だいじゅうよんだん)

  意志いしは  自分じぶんや  周囲しゅういを  意識いしき  しつつ  働はたらきを  なす  力ちからの  ことで  ある。意志いしは  それまでに  得えられた  様さま々ざまな  情報じょうほうを  もとに、それらに  促うながされたり、急せき立たてられたりと、様さま々ざまな  影響えいきょうを  受うけながら  働はたらきを  なす。ところが  不思議ふしぎな  ことに、意志いしは  様さま々ざまな  ことを  意識いしき  して  いるにも  かかわらず、そう  して  意識いしき  された  事柄ことがらからは  独立どくりつ  して  いるとも  考かんがえられて  いる。と  いうのも、ある  人物じんぶつの  意志いしに  よる  行為こういと  見みなされるのは、その  人ひとが  自発的じはつてきに、自由じゆうな  選択せんたくの  もとに、自みずからで  なしたと  言いわれる  行為こういの  ことだからで  ある。誰だれかが  「これは  私わたしが  自分じぶんの  意志いしで  行おこなった  ことだ」と  主張しゅちょう  したならば、この  発言はつげんが  意味いみ  して  いるのは、自分じぶんが  その  行為こういの  出発点しゅっぱつてんで  あったと  いう  こと、すなわち、様さま々ざまな  情報じょうほうを  意識いしき  しつつも、そこからは  独立どくりつ  して  判断はんだんが  下くだされたと  いう  ことで  ある。(第十五段だいじゅうごだん)

  意志いしは  物事ものごとを  意識いしき  して  いなければ  ならない。つまり、自分じぶん  以外いがいの  ものから  影響えいきょうを  受うけて  いる。にも  かかわらず、意志いしは  そう  して  意識いしき  された  物事ものごとからは  独立どくりつ  して  いなければ  ならない。すなわち  自発的じはつてきで  なければ  ならない。(第十六段だいじゅうろくだん)

  (3)意志いしは  自分じぶん  以外いがいの  ものに  接続せつぞく  されて  いると  同時どうじに、そこから  切断せつだん  されて  いなければ  ならない。われわれは  そのような  実じつは  曖昧あいまいな  概念がいねんを、しばしば  事態じたいや  行為こういの  出発点しゅっぱつてんに  置おき、その  原動力げんどうりょくと  見みなして  いる。(第十七段だいじゅうななだん)

(國こく分ぶん  功こう一郎いちろう  「中動態ちゅうどうたいの  世界せかい」に  よる)

〔注ちゅう〕

プロセス画像過程かてい。

意志いし  する画像物事ものごとを  深ふかく  考かんがえ、積極的せっきょくてきに  実行じっこう  しようと  する  こと。

カテゴリー画像範囲はんい。

  

 

 

〔問とい1〕  (1)しかし、「自分じぶんで」が  いったい  何なにを  指さして  いるのかを  決定けってい  するのは  容易よういでは  ないし、「意志いし」を  行為こういの  源泉げんせんと  考かんがえるのも  難むずかしい。と  あるが、「『自分じぶんで』が  いったい  何なにを  指さして  いるのかを  決定けってい  するのは  容易よういでは  ない」と  筆者ひっしゃが  述のべたのは  なぜか。次つぎの  うちから  最もっとも  適切てきせつな  ものを  選えらべ。

 

ア
  他者たしゃと  関かかわる  行為こういでは、相手あいてに  心こころから  求もとめられて  いる  ことを  理解りかい  して  行動こうどう  する  ことが  優先ゆうせん  され、自分じぶんの  意志いしは  後あと回まわしに  なると  考かんがえたから。
イ
  自分じぶんの  意志いしで  行おこなって  いると  感かんじる  行為こういの  中なかには、心こころの  中なかで  起おこる  ことのように、自分じぶんの  思おもい通どおりに  操作そうさ  できない  ものが  あると  考かんがえたから。
ウ
  心こころの  中なかで  起おこる  行為こういは、意志いしでは  なく  特定とくていの  条件じょうけんが  起因きいんと  なると  言いわれて  いるが、自分じぶんで  その  条件じょうけんを  整ととのえる  ことは  できないと  考かんがえたから。
エ
  意志いしに  よる  行為こういでは、自分じぶんの  思考しこうを  統制とうせい  する  ことが  不可欠ふかけつだが、様さま々ざまな  想おもいが  心こころの  中なかで  巡めぐらないよう  集中しゅうちゅう  する  ことは  難むずかしいと  考かんがえたから。

  

 

〔問とい2〕  (2)われわれは、「私わたしが  何なにごとかを  なす」と  いう  文ぶんが  もつ  曖昧あいまいさを  指摘してき  した。と  あるが、「『私わたしが  何なにごとかを  なす』と  いう  文ぶんが  もつ  曖昧あいまいさ」とは  どう  いう  ことか。次つぎの  うちから  最もっとも  適切てきせつな  ものを  選えらべ。

 

ア
  能のう動どうの  形式けいしきで  表現ひょうげん  される  行為こういの  中なかには  受じゅ動どうの  行為こういも  含ふくまれて  おり、表現ひょうげんから  能のう動どうと  受じゅ動どうを  区別くべつ  する  ことは  不便ふべんで  不正確ふせいかくだと  いう  こと。
イ
  謝罪しゃざいのように  能のう動どうの  形式けいしきで  表現ひょうげん  される  事態じたいや  行為こういを  受じゅ動どうの  形式けいしきで  表あらわすと、行為こういの  意味いみが  変化へんか  して  正確せいかくな  表現ひょうげんで  なく  なると  いう  こと。
ウ
  「私わたし」を  省略しょうりゃく  する  ことが  できる  能のう動どうの  形式けいしきでは、誰だれからの  作用さようを  受うけての  行為こういで  あるかを  理解りかい  する  ことは  困難こんなんで  あると  いう  こと。
エ
 能のう動どうの  形式けいしきで  表現ひょうげん  される  事態じたいや  行為こういで  あっても、自分じぶんで  意志いしを  もって  行おこなうと  いう  能のう動どうの  概念がいねんに  当あてはまらない  場合ばあいが  あると  いう  こと。

  

 

〔問とい3〕  この  文章ぶんしょうの  構成こうせいに  おける  第十二段だいじゅうにだんの  役割やくわりを  説明せつめい  した  ものと  して  最もっとも  適切てきせつなのは、次つぎの  うちでは  どれか。

 

ア
  それまでに  述のべて  きた  能のう動どうの  形式けいしきの  特徴とくちょうに  ついて、それに  反対はんたい  する  立場たちばから、別べつの  見解けんかいを  示しめす  ことで  話題わだいの  転換てんかんを  図はかって  いる。
イ
  それまでに  述のべて  きた  能のう動どうと  受じゅ動どうの  関係かんけいに  ついて、筆者ひっしゃの  体験たいけんを  基もとに、根拠こんきょと  なる  事例じれいを  挙あげる  ことで  自じ説せつの  妥当性だとうせいを  強調きょうちょう  して  いる。
ウ
  それまでに  述のべて  きた  能のう動どうの  形式けいしきの  課題かだいに  ついて、具体例ぐたいれいに  分析ぶんせきを  加くわえ、改あらためて  問題点もんだいてんを  整理せいり  する  ことで  論ろんの  展開てんかいを  図はかって  いる。
エ
 それまでに  述のべて  きた  能のう動どうの  形式けいしきの  効果こうかに  ついて、新あらたな  視点してんを  示しめし、詳くわしい  説明せつめいを  加くわえる  ことで  論ろんを  分わかりやすく  して  いる。

  

 

〔問とい4〕  (3)意志いしは  自分じぶん  以外いがいの  ものに  接続せつぞく  されて  いると  同時どうじに、そこから  切断せつだん  されて  いなければ  ならない。と  あるが、筆者ひっしゃが  このように  述のべたのは  なぜか。次つぎの  うちから  最もっとも  適切てきせつな  ものを  選えらべ。

 

ア
  意志いしは、自分じぶん  自身じしんや  身みの回まわりの  様さま々ざまな  条件じょうけんなど  多おおくの  情報じょうほうから  影響えいきょうを  受うける  もので  あるが、一方いっぽうで  意志いしに  よる  行為こういは、主体的しゅたいてきな  判断はんだんに  よって  自みずから  行おこなう  もので  あると  見みなされて  いると  考かんがえたから。
イ
  意志いしは、目的もくてきや  計画けいかくを  実現じつげん  しようと  する  精神せいしんの  働はたらきで  ある  ため、周囲しゅういの  影響えいきょうを  受うけて  当初とうしょの  目的もくてきが  変化へんか  したと  しても、計画けいかくを  実現じつげん  する  ことは  変かわらない  もので  あると  見みなされて  いると  考かんがえたから。
ウ
  意志いしは、行為こういの  原動力げんどうりょくで  あり、事態じたいや  行為こういの  起点きてんが  自分じぶん  自身じしんに  ある  ことを  強つよく  意識いしき  させる  反面はんめん、自分じぶんの  意識いしきからも  制約せいやくを  受うける  ことの  ない  自由じゆうな  心こころの  働はたらきで  あると  見みなされて  いると  考かんがえたから。
エ
  意志いしは、意識いしきと  結むすびついて  目的もくてきや  計画けいかくを  実現じつげん  する  ために  必要ひつような  情報じょうほうを  選択せんたく  しようと  する  自発的じはつてきな  力ちからで  あるが、より  よい  選択せんたくを  する  ためには  客観的きゃっかんてきな  判断力はんだんりょくも  必要ひつようで  あると  見みなされて  いると  考かんがえたから。

  

 

〔問とい5〕

国語こくごの  授業じゅぎょうで  この  文章ぶんしょうを  読よんだ  後あと、「自分じぶんの  意志いしを  もつ  こと」と  いう  テーマで  自分じぶんの  意見いけんを  発表はっぴょう  する  ことに  なった。この  ときに  あなたが  話はなす  言葉ことばを  具体的ぐたいてきな  体験たいけんや  見聞けんぶんも  含ふくめて  二百字にひゃくじ  以内いないで  書かけ。なお、書かき出だしや  改行かいぎょうの  際さいの  空欄くうらん、画像や  画像や  画像なども  それぞれ  字数じすうに  数かぞえよ。

  

 

 次つぎの  A  及および  Bは、それぞれ  夏目なつめ  漱石そうせきの  漢詩かんしに  関かんする  対談たいだんと  文章ぶんしょうの  一部いちぶで  あり、画像内ないの  文章ぶんしょうは、Bの  漢詩かんしの  現代語げんだいご訳やくで  ある。これらの  文章ぶんしょうを  読よんで、あとの  各問かくといに  答こたえよ。(*印じるしの  付ついて  いる  言葉ことばには、本文ほんぶんの  あとに  〔注ちゅう〕が  ある。)

  

 

A

陳ちん
 明治めいじの  ころまでは  漢詩かんしを  つくる  人ひとが  ずいぶん  いた  わけです。新聞しんぶんには  漢詩かんしの  欄らんが  ありましたし、俳句はいくとか  短歌たんかと  同おなじように  自じ作さくの  漢詩かんしを  投稿とうこう  する  人ひとたちが  いました。新聞しんぶんから  漢詩かんし欄らんが  消きえたのは  いつでしたかね?
石川いしかわ
 大正たいしょう  六年ろくねんです。
陳ちん
 日本人にほんじんは  ずっと  漢文かんぶんを  書かいて  いた  わけですね。漢文かんぶんが  正せい本ほんで、仮名かな本ぼんが  副ふく本ほんでしたから、いつの  時代じだいでも  漢字かんじが  先さきでした。

  最初さいしょの  日本にほんの  記録きろくで  ある  聖徳しょうとく太子たいしの  「十七条じゅうしちじょうの  憲法けんぽう」も  漢文かんぶんです。『土佐とさ  日記にっき』に  「男おとこも  すなる  日記にきと  いう  ものを  女おんなも  して  みむとて」と  いうのが  ありますが、男おとこは  日記にっきを  漢文かんぶんで  書かいて  いたんですね。もっとも、紀きの  貫之つらゆきは  男おとこだけれども、仮名かな  文字もじで  書かくからには  〈女おんな〉に  ならなければ  ならなかった。

  返かえり点てんを  打うつなど  して  日本人にほんじんは  相当そうとうに  苦心くしん  して  漢文かんぶんを  使つかおうと  した  わけですから、「二重にじゅう  言語げんご  使用者しようしゃ」なんですね。ヨーロッパで  ラテン語ごを  やって  いると  いっても  だいたい  似にて  いますが、日本にほんと  中国ちゅうごくは  別べつの  言葉ことばです。アかつて  日本人にほんじんは、まったく  違ちがう  言葉ことばを  日常にちじょう  レベルで  二ふたつ  持もって  いたのですから、よほど  訓練くんれんが  行いき届とどいて  いたんだと  思おもいます。
石川いしかわ
 同感どうかんです。日本にほんは  漢字かんじを  もらったので、日本にほんの  文化ぶんかと  中国ちゅうごくの  文化ぶんかは  近ちかいと  思おもう  人ひとが  多おおいけれども、実際じっさいは  異質いしつの  文化ぶんかと  いえます。(1)日本にほんの  古典こてんと  漢文かんぶんとを  車くるまの  両りょう輪りんのように  ずっと  やって  きたと  いう  特殊性とくしゅせいが  あった。
陳ちん
 イもし  日本にほんが  漢字かんじ、漢文かんぶんを  取とり入いれて  いなければ、近代化きんだいかは  ありえなかったと  思おもうほどです。
石川いしかわ
 日本人にほんじんは  漢字かんじを  取とり入いれた  ことで  高たかい  文化ぶんかを  持もてるように  なった。特とくに、江戸えど  時代じだいの  漢詩かんしは  かなりの  レベルに  なって  います。自由じゆう  自在じざいに  つくって、しかも  なおかつ  日本にほんの  美び意識いしきが  出でて  いますからね。

  なぜ、あれほど  高たかく  なったかと  いえば、徳川とくがわ  幕府ばくふが  文ぶん治ち  政策せいさくを  強力きょうりょくに  推おし進すすめて  いた  ことでしょう。武士ぶしの  世界せかいだけれども  文ぶん治ちを  重要じゅうよう視し  した。その  結果けっか、裾野すそのが  ワーッと  広ひろがって  山やまが  高たかく  なったと  いう  ことでしょう。民間みんかんには  寺子屋てらこやや  塾じゅくが  たくさん  できましたし、各藩かくはんには  藩はん校こうが  設もうけられた。その  中心ちゅうしんが  湯島ゆしま  聖せい堂どうですね。
(2)陳ちん
 各藩かくはんも  文ぶん治ち  政策せいさくを  取とらないと  にらまれましたからね。あまり  剣道けんどうばかり  やって  いると  謀反むほんでも  起おこすんじゃ  ないかと  怪あやしまれた。特とくに  *加賀かが  百万石ひゃくまんごく  なんか  そうですけど、茶さ道どうなども  含ふくめて  文化ぶんかに  力ちからを  入いれて  いる。
石川いしかわ
 江戸えど期きに  高たかい  水準すいじゅんに  あった  ために、明治めいじ期きも  かなり  盛さかんに  漢詩かんしは  つくられましたね。ウむしろ  江戸えどより  盛さかんな  面めんも  あった。
陳ちん
 漱石そうせきは、正岡まさおか  子規しきを  読者どくしゃと  想定そうてい  して  漢詩かんしを  つくって  います。だから、漱石そうせきが  ロンドンに  留学りゅうがく  して  いる  ときに  子規しきは  死しぬんですが、そう  すると、それ  以降いこうの  十年間じゅうねんかんは  つくりませんからね。
石川いしかわ
 子規しきとは  *東とう大だいの  予備よび門もん  時代じだいに  知しり合あい、かなり  影響えいきょうを  受うけます。ところが  ロンドンに  留学りゅうがく  して  中断ちゅうだん  しますが、帰国きこく後ごに  吐と血けつ  し、健康けんこうを  取とり戻もどしてから  たくさんの  漢詩かんしを  つくるように  なります。
陳ちん
 小説しょうせつ  『明暗めいあん』を  書く  ときに、小説しょうせつを  書く  とっかかりを  つかもうと  して  漢詩かんしを  つくって  いますが、これは  自分じぶんの  内面ないめんを  自分じぶんで  見みつめる  ための  詩しと  いう  感かんじが  します。
石川いしかわ
 『明暗めいあん』の  時期じきの  詩しは  七言しちごん  律りっ詩しが  多おおく、禅ぜん味みを  帯おびて  いますが、表現ひょうげんは  練ねられて  いて  実じつに  深ふかい。エある  意味いみでは  日本にほんの  漢詩かんしの  到達とうたつ点てんと  いうような  感かんじも  します。要ようするに  従来じゅうらいの  花鳥かちょう  風ふう月げつの  漢詩かんしとは  違ちがう、内面ないめんの  告こく白はくの  漢詩かんしですからね。また、漱石そうせきの  詩しを  みて  いると、*『唐とう詩し選せん』から  ずいぶんと  語彙ごいや  発想はっそうの  ヒントを  得えて  いますね。あるいは  自然しぜんと  出でて  しまうほど  身みに  ついて  いたのでしょう。

(陳ちん  舜しゅん臣しん、石川いしかわ  忠ただ久ひさ  「漢詩かんしは  人生じんせいの  教科書きょうかしょ」に  よる)

  

B

独往孤来俗不斉
独どく往おう  孤こ来らい  俗ぞくと  斉ひとしからず
山居悠久没東西
山やま居きょ  悠ゆう久きゅう  東西とうざい  没なし
巌頭昼静桂花落
巌頭がんとう  昼ひる  静しずかに  して  桂花けいか  落おち
檻外月明澗鳥啼
檻外らんがい  月つき  明あきらかに  して  澗鳥かんちょう  啼なく
道到無心天自合
道みちは  心こころ  無なきに  到いたりて  天てん  自みずから  合ごうし
時如有意節将迷
時ときに  如もし  意い  有あらば  節せつ  将まさに  迷まよはんとす
空山寂寂人閑処
空山くうざん  寂々じゃくじゃくと  して  人ひと  閑しずかなる  処ところ
幽草芊芊満古蹊
幽草ゆうそう  芊々せんせんと  して  古蹊こけいに  満みつ

 

(3)この  詩しは  大正たいしょう五年ごねん  九月くがつ三日みっかの  作さくで、当時とうじ  小説しょうせつ  『明暗めいあん』を  執筆しっぴつ中ちゅうの  漱石そうせきは、*俗ぞく了りょう  された  心持こころもちを  洗あらい流ながす  ために  漢詩かんしを  作つくった  もので  ある。漱石そうせきに  とって、大おおきな  救すくいと  なったで  あろう  ことは  想像そうぞうに  難かたく  ない  ところで  ある。

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  私わたしは  世間せけんと  妥協だきょう  する  こと  なく、孤こ独どくの  人生じんせいを  歩あゆんで  来きた。山中さんちゅうの  生活せいかつも  久ひさしく  なって  (4)今いまでは  方角ほうがくさえ  わからない。真昼まひる  静しずかな  岩いわの  ほとりには  もくせいの  花はなが  こぼれ、月つきの  明あかるい  手てすりの  外そとには  谷川たにがわの  鳥とりが  夜よるも  さえずる。人ひとの  道みちも  私心ししんを  去されば  天てんの  道みちと  一致いっち  しよう。時間じかんに  もし  私意しいが  あると  したら、季節きせつも  混乱こんらん  して  しまうだろう。この  ひっそり  した  山中さんちゅうの、*閑かん適てきな  暮くらしの  あたりには、名なも  知しれぬ  草くさが  生おい茂しげって、古ふるい  小こみちを  おおいかくして  いる。

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(和田わだ  利男としお  「漱石そうせきの  漢詩かんし」に  よる)

〔注ちゅう〕

加賀かが画像江戸えど  時代じだいに  加賀かが国のくに  (石川県いしかわけん)、能登のと国のこく  (石川県いしかわけん)、越中えっちゅう国のくに  (富山県とやまけん)を  領有りょうゆう  した  藩はん。

東とう大だいの  予備よび門もん画像東京とうきょう  大学だいがくに  入学にゅうがく  する  前まえの  準備じゅんび  教育きょういく  機関きかん。

『唐とう詩し選せん』画像唐とう代だいの  漢詩かんし  選せん集しゅう。

俗ぞく了りょう画像俗ぞくっぽい  気分きぶんに  なる  こと。

閑かん適てきな画像心こころ  静しずかに  安やすらかな  こと。

  

 

〔問とい1〕  文中ぶんちゅうの画像を  付つけた  ア~エの  修飾語しゅうしょくごの  うち、被ひ修飾語しゅうしょくごとの  関係かんけいが  他ほかと  異ことなる  ものを  一ひとつ  選えらび、記号きごうで  答こたえよ。

  

 

〔問とい2〕  (1)日本にほんの  古典こてんと  漢文かんぶんとを  車くるまの  両りょう輪りんのように  ずっと  やって  きたと  いう  特殊性とくしゅせいが  あった。と  あるが、ここで  いう  「日本にほんの  古典こてんと  漢文かんぶんとを  車くるまの  両りょう輪りんのように  ずっと  やって  きたと  いう  特殊性とくしゅせい」に  ついて  説明せつめい  した  ものと  して  最もっとも  適切てきせつなのは、次つぎの  うちでは  どれか。

 

ア
  日本人にほんじんは、日本語にほんごと  異ことなる  規則きそくで  書かき表あらわす  漢文かんぶんを  工夫くふう  する  ことで  取とり入いれ、仮名かなと  同おなじように  日常にちじょうの  中なかで  使用しよう  して  きたと  いう  こと。
イ
 日本人にほんじんは、大陸たいりくから  伝来でんらい  した  漢字かんじに  仮名かなの  特徴とくちょうを  加くわえる  ことで、日本にほんと  中国ちゅうごくの  美びを  併あわせ  もった  新あらたな  字じを  生うみ出だしたと  いう  こと。
ウ
 日本人にほんじんは、近代化きんだいかを  進すすめる  ために  大陸たいりくから  漢字かんじを  苦心くしん  して  導入どうにゅう  し、目的もくてきや  場面ばめんに  応おうじて  漢字かんじと  仮名かなを  使つかい分わけて  きたと  いう  こと。
エ
 日本人にほんじんは、明治めいじ  時代じだいに  中国ちゅうごくから  伝つたわった  漢詩かんしを  好このみ、自じ作さくの  漢詩かんしを  新聞しんぶんに  投稿とうこう  するなど  和歌わかや  俳句はいくと  同おなじように  親したしんだと  いう  こと。

  

 

〔問とい3〕  (2)陳ちんさんの  発言はつげんの  この  対談たいだんに  おける  役割やくわりを  説明せつめい  した  ものと  して  最もっとも  適切てきせつなのは、次つぎの  うちでは  どれか。

 

ア
 特とくに  文化ぶんか面めんに  力ちからを  入いれた  地域ちいきの  特色とくしょくを  示しめす  ことで  文ぶん治ち  政策せいさくの  理解りかいに  役立やくだつ  話はなしを  聞きき出だそうと  し、石川いしかわさんの  次つぎの  発言はつげんを  促うながして  いる。
イ
 直前ちょくぜんの  石川いしかわさんの  発言はつげんに  対たいして  賛さん同どう  しつつ  文ぶん治ち  政策せいさくに  ついて  補足ほそく  すると  ともに、別べつの  具体例ぐたいれいを  示しめす  ことで  対談たいだんの  内容ないようを  深ふかめて  いる。
ウ
 剣道けんどうよりも  茶さ道どうなどに  力ちからを  入いれて  いた  加賀かが藩はんの  取とり組くみを  示しめす  ことで  文ぶん治ち  政策せいさくの  ねらいに  気付きづかせ、新あらたな  問題もんだいを  提起ていき  して  いる。
エ
 それまでの  自分じぶんの  発言はつげんを  踏ふまえて  幕府ばくふが  進すすめた  文ぶん治ち  政策せいさくの  影響えいきょうを  示しめし、日本にほんの  近代化きんだいかが  話題わだいの  中心ちゅうしんと  なる  きっかけを  作つくって  いる。

  

 

〔問とい4〕  (3)この  詩しは  大正たいしょう五年ごねん  九月くがつ三日みっかの  作さくで、と  あるが、その  当時とうじの  漱石そうせきの  漢詩かんしに  ついて、Aの  対談たいだんでは  どのように  述のべて  いるか。次つぎの  うちから  最もっとも  適切てきせつな  ものを  選えらべ。

 

ア
  唐とうの  時代じだいの  漢詩かんしだけで  なく、連れん載さい中ちゅうの  小説しょうせつから  漢詩かんしを  書く  ための  語句ごくや  発想はっそうの  ヒントを  得えて  多おおくの  七言しちごん  律りっ詩しを  つくったと  述のべて  いる。
イ
  伝統的でんとうてきな  漢詩かんしの  題材だいざいで  ある  花はなの  様子ようすや  鳥とりの  鳴なき声ごえに  加くわえて、山中さんちゅうの  静しずけさや  草木くさきの  茂しげる  様子ようすを  表現ひょうげん  した  新あたらしい  漢詩かんしで  あると  述のべて  いる。
ウ
  自然しぜんの  美うつくしさを  表現ひょうげん  した  従来じゅうらいの  漢詩かんしとは  異ことなり、当時とうじの  漱石そうせきの  漢詩かんしは  心こころの  内うちを  表現ひょうげん  して  いて  日本にほんの  漢詩かんしの  傑作けっさくで  あると  述のべて  いる。
エ
  健康けんこう面めんに  対たいする  不安ふあんを  取とり除のぞく  ために  漢詩かんしの  創作そうさくに  打うち込こみ、自分じぶん  自身じしんの  内面ないめんを  みつめる  ことで  大おおきな  救すくいに  なったと  述のべて  いる。

  

 

〔問とい5〕  (4)今いまでは  方角ほうがくさえ  わからない。と  あるが、Bの  漢詩かんしに  おいて  「今いまでは  方角ほうがくさえ  わからない」に  相当そうとう  する  部分ぶぶんは  どこか。次つぎの  うちから  最もっとも  適切てきせつな  ものを  選えらべ。

 

ア
  俗ぞくと  斉ひとしからず
イ
  東西とうざい  没なし
ウ
  将まさに  迷まよはんとす
エ
  人ひと  閑しずかなる  処ところ

  

正せい答とう表ひょう

 

(1)  繕つくろう  つくろ(う)

(2)  舞ぶ  踊よう  ぶよう

(3)  若干しゃっかん  じゃっかん

(4)  惜せき  敗はい  せきはい

(5)  紛まぎれて  まぎ(れて)

※  に  ついて、読よみがなは、ひらがなでも  かたかなでも  よい。

  

 

(1)  ヒロう  拾ひろう

(2)  キョウリ  郷里きょうり

(3)  キンム  勤務きんむ

(4)  チュウサイ  仲裁ちゅうさい

(5)  イキオい  勢いきおい

※  に  ついて、(2)は  「image00022.jpg」にも、(3)は  「image00023.jpg」にも、それぞれ  点てんを  与あたえる。

  

 

〔問とい1〕  ウ

〔問とい2〕  イ

〔問とい3〕  エ

〔問とい4〕  ア

〔問とい5〕  エ

  

 

〔問とい1〕  イ

〔問とい2〕  エ

〔問とい3〕  ウ

〔問とい4〕  ア

〔問とい5〕

  習ならい事ごとを  選えらんだ  理由りゆうを  友達ともだちに  聞きかれ、「ピアノが  好すきだから。と  私わたしは  答こたえました。しかし  改あらためて  考かんがえると、幼おさない  頃ころに  ピアノを  ひいて  いる  母ははの  姿すがたを  見みて、私わたしも  母ははのように  ひきたいと  思おもった  ことが  きっかけだと  気付きづきました。

  自分じぶんの  意志いしで  決きめたと  思おもって  いた  選択せんたくには  母ははの  影響えいきょうが  ありました。私わたしは  今いま、ピアノに  関かかわる  仕事しごとに  つきたいと  考かんがえて  います。今後こんごも  様々さまざまな  人ひとから  影響えいきょうを  受うけると  思おもいますが、自分じぶんの  意志いしを  大切たいせつに  して  いきたいと  思おもいます。

  

 

〔問とい1〕  エ

〔問とい2〕  ア

〔問とい3〕  イ

〔問とい4〕  ウ

〔問とい5〕  イ