平成30年度 東京都 高校入試問題 国語
次の 各文の を 付けた 漢字の 読みがなを 書け。
- (1)
- 洋服の ほころびを 繕う。
- (2)
- 日本の 伝統的な 舞踊を 鑑賞 する。
- (3)
- 午後の 列車には 若干の 空席が ある。
- (4)
- 善戦 するも 一点 差で 惜敗 し、優勝を 逃す。
- (5)
- 忙しさに 紛れて、弟に 頼まれた 用事を 忘れる。
次の 各文の を 付けた 漢字の 読みがなを 書け。
次の 各文の を 付けた かたかなの 部分に 当たる 漢字を 楷書で 書け。
次の 文章を 読んで、あとの 各問に 答えよ。(*印の 付いて いる 言葉には、本文の あとに 〔注〕が ある。)
中学校 一年生の 「わたし」と 後ろの 席に 座る 上野とは、小学生の 時は 互いの 家を 行き来 して 遊ぶ 間柄で あった。中学校 入学後、「わたし」は 陸上部に 入り、上野は 部活に 入らなかった ことも あって、それぞれ 違う 友人の 輪の 中に いる ことが 多く なり、話す 機会が なくなって いた。
教室には 休み 時間の だらけた 雰囲気が 残って いた。わたしも 体を 半分 上野の 方へ 向けて 座って いた。しかし 上野に 話しかけたくても、どう 接して 良い ものか 分からず、話の 糸口を 上手く 摑めないで いた。
上野は 辞書を 熱心に 読んで いた。見るからに 古く、年季の 入った 辞書だった。四隅が ぼろぼろで、頁も 手垢で 黒ずんで いた。箱も なく、白かったで あろう 表紙は ねずみ色と 言って いいぐらいで、金色の 題字は 剥がれて ほとんど 残って いない。しかし そんな 辞書とは 対照的に、それを 読む 上野の 目は 爛々と 輝いて いた。彼の 目に わたしの 姿は 映って おらず、わたしは 不思議と 苛立ちを 覚え、気が 付いた 時には 乱暴に 言葉を 発して いた。
「お前、汚い 辞書 使ってんな。」
言葉が 舌の 上を 通り抜けた 瞬間から、激しい 後悔が 襲った。たしかに 上野の 使って いる 辞書は、お世辞にも 綺麗とは 言い難い 代物だった。だからと いって、他に いくらでも 言いようが あっただろう。わたしは 自分の 声が 周りに 聞こえて いる ことも 十分に 意識 して いた。お前、汚い 辞書 使ってんな。鼓動が 激しく なる 中、顔を あげた 上野と 目が 合った。つぶらな、大きな 目だった。こちらを じっと 見つめかえしながら 彼は 言った。
「うん、母さんが くれたんだ。大学の 時に 買って もらった 辞書なんだって。」
屈託も *衒いも ない 言い方だった。わたしは 彼が 言おうと した ことが 何 一つ 呑み込めずに いた。どうして 上野の 母が 出て 来るのか、ダイガクとは 何か、だから どうだと いうのか、わたしには よく 分からなかった。しかし、何よりも その 口調が わたしの 心を 打った。それは 昔と 変わらない、心を 許した 相手にだけ 向けた 穏やかな 話し方だった。(1)わたしは ろくに 返事も できず、ちょうど 先生が 教室へ 入って きたのを 良い 事に、上野に 背を 向けた。
授業が 始まっても、内容は 頭に 入って 来なかった。こちらを 見つめかえした 上野の 目の 印象が なかなか 頭から 去らなかった。振り払おうと 必死に なる 度に、後ろから 辞書を めくる 音が 聞こえた。時折、紙が 折れたり 頁が 破けたり する 音も 混じって いた。わたしは 一二度 そっと 振り返りも したが、上野は こちらに 気付く 素振りも なく、相変わらず 目を 輝かせながら 辞書を 引いて いた。
わたしは 先ほどの 上野の 言葉に 思いを めぐらせた。上野の 母親には、何度か 会った ことが あった。大概は 彼の 家に いる 時で、二人で 遊んで いると 夕方ごろに どこからか 帰って きて、二言 三言 挨拶を 交わした。いつも 黒い 髪を 後ろに 束ね、忙しそうに して いた。しかし、もっとも 印象に 残って いるのは、彼女が 書斎に 居た 姿だった。トイレを 借りた 帰りの 廊下で、いつもは 閉じて いる 部屋の ドアが 開いて いるのに わたしは 気が 付いた。人の 気配が したので、わたしは 気に なって 覗いて みると、そこに 上野の 母親が いた。書棚に 囲まれた 机に 大きな 本を 何冊か 広げながら、はっと するほど 冷たい 横顔で 座って いた。調べごとか、考え事を して いる 風だった。(2)二重の 目は いつも 以上に 大きく 開かれ、遠い 場所を 追って いた。まるで 目の 前の 本では なく、その 向こう側に いる 誰かを 見つめて いるようだった。
上野の 母の 白い 手が 頁を めくった 音で わたしは 我に 返り、見ては ならない ものを 見た 気が して 黙って その 場を 後に した。自分は なぜ あれほど 動揺 したのだろうか。もしか したら 大の 大人が 勉強を して いる 姿を 見たのが 初めてだったからかも しれない。自宅に 帰ってから、わたしは 自分の 親に 上野の 家で 見た ことを 率直に 告げた。母親からは、上野の 母は 「ガクシャ」だからと いう 答えが 返って きたのを 覚えて いる。
わたしには 「ガクシャ」も 「ダイガク」も 「母さんが くれたんだ」と いう 言葉も、そして 辞書を めくる 音の 意味も うまく 咀嚼 できない まま 授業は 終りを 告げた。自分の 失言の せいも あって、上野との 間に いっそうの 隔たりを 感じ、わたしは それっきり 上野と 会話を 交わす ことが なかった。
秋の 新人戦に 向けて 多忙な 時期でも あり、友人達と 大声で 笑い合う うちに、わたしは 辞書の ことを 忘れ、国語の 授業中に 聞こえる 紙の 音も 次第に 気に ならなく なった。わたしの 未使用の 辞書は 教室の 後ろの ロッカーに 入れられた まま 放置 された。
しばらく 後の 美術の 授業での ことだった。わたしは 試合で 使う 予定の スパイク シューズの 絵を 描いて いた。思い入れの ある 持ち物を 題材に 選ぶように 言われ、わたしは 迷わず 卸し立ての スパイクを 選んだ。青い ラインの 入った スパイクの 靴底からは 八本の 釘が 鋭く 光って いた。
ふと 筆を 休めた 時に、斜め 向かいの 班に 上野が いるのが 目に 入った。わたしの 胸に 思い出したく ない ものが ぶり返して きた。彼の 前に、あの 辞書が あったからだ。改めて 見ると、くすんだ 白い 表紙は 辞書 そのものから ほとんど 取れかけて いる。あんな みすぼらしい 辞書では 不恰好な 絵に なるに 違い ないのに、どうして 題材に 選んだのだろうと 思った。
途端、おそろしく 身勝手で 愚かな 邪推が、つまり、わたしへの 当てつけで あの 辞書を 描こうと して いるのでは ないかと いう 考えが わたしの 頭に 浮かんだ。そう 思った 瞬間に 上野が 顔を 上げ、また 視線が 交錯 しそうに なった。(3)わたしは すぐに 目を 伏せ、絵の具を 混ぜる 振りを して やり過ごした。出鱈目に 色を 混ぜながら、上野が 辞書を 引っ込めて、別の 物を 題材に 選んで くれたら いいのにと 願ったが、上野は 辞書の 絵を 描き続けた。
陸上部の 秋季 大会は 惨憺たる 結果で、自己 ベストにすら 遠く 及ばず、慣れない 靴の ために 足首を 捻って 最後の 跳躍も 叶わなかった。学校 行事も 遠足に 期末 試験と 慌ただしく 続き、あっと いう 間に 冬休みが 訪れた。一年 前は 暇さえ あれば 上野の 家の インターホンを 鳴らしに 行ったが、年末 年始は 部活も さほど なく、わたしは 所在なく 冬休みを 過ごした。
年が 明け、一年生 最後の 学期が 始まった。美術の 時間では、二学期に 描いた 絵が 返却 された。わたしの スパイクは べたっと した 単調な 絵で、どう 見ても それは 地上から 跳び上がる ための 道具に 見えなかった。秋季 大会の ことも 思い出され、わたしは すぐさま 絵を 作業台の 下に 隠した。そして、そのまま 美術室に 絵を 忘れて きて しまった。誰かに 見られると 恥ずかしいので、放課後に 部活に 行く 振りを して こっそりと 取りに 行った。
美術室は 閉まって いた。隣の 準備室にも 先生は おらず、わたしは しばらく 廊下を うろつき、展示 されて いる 作品を 眺めた。廊下には 出来の 良かった 作品が 幾つか 数珠繋ぎに 吊る されて いた。どの 絵も わたしのより 上手く 描けて いたが、だからと 言って わたしと 関わり合いの あるものには 感じられなかった。
職員室に 先生を 探しに 行こうかと 考え、絵の 前を 引き返して いると、その 中の 一枚が 目に 留った。上野の 絵だった。一番 隅に あったので 見逃して いたのだ。わたしは 足を 停め、そこに 描かれた あの 辞書を 見た。辞書は 本物 そのものの様に 汚れが 目立ち、日に 焼けて くすんで いた。絵に 鼻を 近づけたら、古びた 紙の 匂いまで 漂って きそうだった。開かれた 辞書を ぼんやりと した 光の 帯が 包みこんで いた。
忘れて いた 嫌な 感情が よみがえって きそうに なった。しかし わたしは 奇妙に その 絵に 引き寄せられて いた。よくよく 見ると、辞書の くすみや 汚れは、出鱈目に つけられた ものでは ない ことが わかった。まるで 雪原の 足跡のような、その 一つ 一つが 辞書に ついた 人の 指紋の 形を 成して いた。指跡は 見開きの 頁ばかりで なく、辞書の 側面にも びっしりと 描かれて いた。わたしは 上野の 手と 彼の 母親の 姿を 思い出した。(4)上野が 何故 あれほど 熱心に 辞書を 見て いたのか 分かった 気が した。
すると、辞書の 周りに あった、単なる 光の 筋だと 思われた ものが、辞書へ 伸びる 指で あり 腕で、一冊の 書物へ 向かって 何度も 伸ばされた ものの 残像で ある ことに 気が 付いた。細く 白い 幾つもの 手が 辞書を 目指し、あるいは その 遥か 向こう側へ 向かって 伸ばされ、互いを 支え合うように して 幾重もの 層を 成して いた。
唐突に、わたしの なかの 靄が 晴れて いった。上野の 母親の 視線の ゆくえも 理解 できる 気が した。彼女の 姿に 上野が 重なって ゆき、わたしは 受け継がれて いく 人の 営みを 感じずには いられなかった。そう 思うと、わたしの 目には 辞書に 書かれて いる 字すらも 人々の 指跡で 出来て いるように 映った。(5)それに 指を 重ねるように、そっと わたしは 手を 伸ばして いた。
(澤西 祐典 「辞書に 描かれた もの」に よる)
〔注〕
衒いひけらかす こと。
〔問1〕 (1)わたしは ろくに 返事も できず、ちょうど 先生が 教室へ 入って きたのを 良い 事に、上野に 背を 向けた。と あるが、「わたし」が 「ろくに 返事も できず、ちょうど 先生が 教室へ 入って きたのを 良い 事に、上野に 背を 向けた」 わけと して 最も 適切なのは、次の うちでは どれか。
〔問2〕 (2)二重の 目は いつも 以上に 大きく 開かれ、遠い 場所を 追って いた。まるで 目の 前の 本では なく、その 向こう側に いる 誰かを 見つめて いるようだった。と あるが、この 表現に ついて 述べた ものと して 最も 適切なのは、次の うちでは どれか。
〔問3〕 (3)わたしは すぐに 目を 伏せ、絵の具を 混ぜる 振りを して やり過ごした。と あるが、この 表現から 読み取れる 「わたし」の 様子と して 最も 適切なのは、次の うちでは どれか。
〔問4〕 (4)上野が 何故 あれほど 熱心に 辞書を 見て いたのか 分かった 気が した。と あるが、「わたし」が 「上野が 何故 あれほど 熱心に 辞書を 見て いたのか 分かった 気が した」 わけと して 最も 適切なのは、次の うちでは どれか。
〔問5〕 (5)それに 指を 重ねるように、そっと わたしは 手を 伸ばして いた。と あるが、この ときの 「わたし」の 気持ちに 最も 近いのは、次の うちでは どれか。
次の 文章を 読んで、あとの 各問に 答えよ。(*印の 付いて いる 言葉には、本文の あとに 〔注〕が ある。)
私が 何ごとかを なす とき、私は 意志を もって 自分で その 行為を 遂行 して いるように 感じる。また 人が 何ごとかを なすのを 見ると、私は その 人が 意志を もって 自分で その 行為を 遂行 して いるように 感じる。(1)しかし、「自分で」が いったい 何を 指して いるのかを 決定 するのは 容易では ないし、「意志」を 行為の 源泉と 考えるのも 難しい。(第一段)
この ことは 心の 中で 起こる ことを 例に すると より 分かりやすく なるかも しれない。たとえば、「想いに 耽る」と いった 事態は どうだろうか。私が 想いに 耽るのだと すれば、想いに 耽るのは 確かに 私だ。だが、想いに 耽ると いう *プロセスが スタート する その 最初に 私の 意志が あるとは 思えない。私は 「想いに 耽るぞ」と 思って そう する わけでは ない。何らかの 条件が 満たされる ことで、その プロセスが スタート するので ある。また、想いに 耽る とき、私は 心の 中で 様々な 想念が 自動的に 展開 したり、過去の 場面が 回想と して 現れ出たり するのを 感じるが、その プロセスは 私の 思い通りには ならない。意志は 想いに 耽る プロセスを 操作 して いない。(第二段)
心の 中で 起こる ことが 直接に 他者と 関係 する 場合を 考えて みると、事態は もっと 分かりやすく なる。謝罪を 求められた 場合を 考えて みよう。私が 何らかの 過ちを 犯し、相手を 傷つけたり、周りに 損害を 及ぼしたり した ために、他者が 謝罪を 求める。その 場合、私が 「自分の 過ちを 反省 して、相手に 謝るぞ」と *意志 しただけでは ダメで ある。心の 中に 「私が 悪かった」と いう 気持ちが 現れて こなければ、他者の 要求に 応える ことは できない。そして そう した 気持ちが 現れる ためには、心の 中で 諸々の 想念を めぐる 実に 様々な 条件が 満たされねば ならないだろう。(第三段)
逆の 立場に 立って 考えて みれば よい。相手に 謝罪を 求めた とき、その 相手が どれだけ 「私が 悪かった」 「すみません」 「謝ります」 「反省 して います」と 述べても、それだけで 相手を 許す ことは できない。謝罪 する 気持ちが 相手の 心の 中に 現れて いなければ、それを 謝罪と して 受け入れる ことは できない。そう した 気持ちの 現れを 感じた とき、私は 自分の 中に 「許そう」と いう 気持ちの 現れを 感じる。もちろん、相手の 心を 覗く ことは できない。だから、相手が 偽ったり、それに 騙されたりと いった ことも 当然 考えられる。だが、それは 問題では ない。重要なのは、謝罪が 求められた とき、実際に 求められて いるのは 何かと いう ことで ある。確かに 私は 「謝ります」と 言う。しかし、実際には、私が 謝るのでは ない。私の 中に、私の 心の 中に、謝る 気持ちが 現れる ことこそが 本質的なので ある。(第四段)
こう して 考えて みると、「私が 何ごとかを なす」と いう 文は 意外にも 複雑な ものに 思えて くる。と いうのも、「私が 何ごとかを なす」と いう 仕方で 指し示される 事態や 行為で あっても、細かく 検討 して みると、私が それを 自分で 意志を もって 遂行 して いるとは 言いきれないからで ある。(第五段)
謝ると いうのは、私の 心の 中に 謝罪の 気持ちが 現れ出る ことで あろうし、想いに 耽ると いうのも、そのような プロセスが 私の 頭の 中で 進行 して いる ことで あろう。にも かかわらず、われわれは そう した 事態や 行為を、「私が 何ごとかを なす」と いう 仕方で 表現 する。と いうか、そう 表現 せざるを えない。(第六段)
「私が 何ごとかを なす」と いう 文は、「能動」と 形容 される 形式の もとに ある。たった 今 われわれが 確認 したのは、能動の 形式で 表現 される 事態や 行為が、実際には、能動性の *カテゴリーに 収まりきらないと いう ことで ある。能動の 形式で 表現 される 事態や 行為で あろうとも、それを 能動の 概念に よって 説明 できるとは 限らない。「私が 謝罪 する」 ことが 要求 されたと しても、そこで 実際に 要求 されて いるのは、私が 謝罪 する ことでは ない。私の 中に 謝罪の 気持ちが 現れ出る ことなのだ。(第七段)
能動とは 呼べない 状態の ことを、われわれは 「受動」と 呼ぶ。受動とは、文字通り、受け身に なって 何かを 蒙る ことで ある。能動が 「する」を 指すと すれば、受動は 「される」を 指す。たとえば 「何ごとかが 私に よって なされる」 とき、その 「何ごとか」は 私から 作用を 受ける。ならば、能動の 形式では 説明 できない 事態や 行為は、それと ちょうど 対を なす 受動の 形式に よって 説明 すれば よいと いう ことに なるだろうか。(第八段)
確かに、謝罪 する ことは 能動とは 言いきれなかった。だが、それらを 受動で 表現 する ことは とても できそうに ない。「私が 歩く」を 「私が 歩かされて いる」と 言い換えられるとは 思えないし、謝罪が 求められて いる 場面で 「私は 謝罪 させられて いる」と 口に したら どう いう ことに なるかは わざわざ 言うまでも ない。(第九段)
能動と 受動の 区別は、全ての 行為を 「する」か 「される」かに 配分 する ことを 求める。しかし、こう 考えて みると、この 区別は 非常に 不便で 不正確な ものだ。能動の 形式が 表現 する 事態や 行為は 能動性の カテゴリーに うまく 一致 しないし、だからと いって それらを 受動の 形式で 表現 できる わけでも ない。(第十段)
だが、それにも かかわらず、われわれは この 区別を 使って いる。そして それを 使わざるを えない。どうしてなのだろうか。もう 一度、能動の 方から 考え直して みよう。(2)われわれは、「私が 何ごとかを なす」と いう 文が もつ 曖昧さを 指摘 した。たとえば 「私が 歩く」が 指し示して いる 事態とは、実際には、「私の もとで 歩行が 実現 されて いる」 ことだ。(第十一段)
では、この 二つは、いったい どこが どう ずれて いるのだろうか。「私が 歩く」と 「私の もとで 歩行が 実現 されて いる」の 決定的な 違いは 何だろうか。「私が 歩く」から 「私の もとで 歩行が 実現 されて いる」を 引いたら、何が 残るだろうか。(第十二段)
能動の 形式は、意志の 存在を 強く アピール する。この 形式は、事態や 行為の 出発点が 「私」に あり、また 「私」こそが その 原動力で ある ことを 強調 する。その 際、「私」の 中に 想定 されて いるのが 意志で ある。つまり 「私が 歩く」は 私の 意志の 存在を 喚起 する。しかし、「私の もとで 歩行が 実現 されて いる」は そうでは ない。(第十三段)
意志とは 実に 身近な 概念で ある。日常でも よく 用いられる。だが、それは 同時に 謎めいた 概念でも ある。意志とは 一般に、目的や 計画を 実現 しようと する 精神の 働きを 指す。意志は 実現に 向かって いるのだから、何らかの 力、あるいは 原動力で ある。ただし、力 ないし 原動力とは いっても、制御 されて いない 剥き出しの 衝動のような ものでは ない。意志は 目的や 計画を もって いるので あって、その 意味で 意志は 意識と 結びついて いる。意志は 自分や 周囲の 様々な 条件を 意識 しながら 働きを なす。おそらく 無意識の うちに なされた ことは 意志を もって なされたとは 見なされない。(第十四段)
意志は 自分や 周囲を 意識 しつつ 働きを なす 力の ことで ある。意志は それまでに 得られた 様々な 情報を もとに、それらに 促されたり、急き立てられたりと、様々な 影響を 受けながら 働きを なす。ところが 不思議な ことに、意志は 様々な ことを 意識 して いるにも かかわらず、そう して 意識 された 事柄からは 独立 して いるとも 考えられて いる。と いうのも、ある 人物の 意志に よる 行為と 見なされるのは、その 人が 自発的に、自由な 選択の もとに、自らで なしたと 言われる 行為の ことだからで ある。誰かが 「これは 私が 自分の 意志で 行った ことだ」と 主張 したならば、この 発言が 意味 して いるのは、自分が その 行為の 出発点で あったと いう こと、すなわち、様々な 情報を 意識 しつつも、そこからは 独立 して 判断が 下されたと いう ことで ある。(第十五段)
意志は 物事を 意識 して いなければ ならない。つまり、自分 以外の ものから 影響を 受けて いる。にも かかわらず、意志は そう して 意識 された 物事からは 独立 して いなければ ならない。すなわち 自発的で なければ ならない。(第十六段)
(3)意志は 自分 以外の ものに 接続 されて いると 同時に、そこから 切断 されて いなければ ならない。われわれは そのような 実は 曖昧な 概念を、しばしば 事態や 行為の 出発点に 置き、その 原動力と 見なして いる。(第十七段)
(國分 功一郎 「中動態の 世界」に よる)
〔注〕
プロセス過程。
意志 する物事を 深く 考え、積極的に 実行 しようと する こと。
カテゴリー範囲。
〔問1〕 (1)しかし、「自分で」が いったい 何を 指して いるのかを 決定 するのは 容易では ないし、「意志」を 行為の 源泉と 考えるのも 難しい。と あるが、「『自分で』が いったい 何を 指して いるのかを 決定 するのは 容易では ない」と 筆者が 述べたのは なぜか。次の うちから 最も 適切な ものを 選べ。
〔問2〕 (2)われわれは、「私が 何ごとかを なす」と いう 文が もつ 曖昧さを 指摘 した。と あるが、「『私が 何ごとかを なす』と いう 文が もつ 曖昧さ」とは どう いう ことか。次の うちから 最も 適切な ものを 選べ。
〔問3〕 この 文章の 構成に おける 第十二段の 役割を 説明 した ものと して 最も 適切なのは、次の うちでは どれか。
〔問4〕 (3)意志は 自分 以外の ものに 接続 されて いると 同時に、そこから 切断 されて いなければ ならない。と あるが、筆者が このように 述べたのは なぜか。次の うちから 最も 適切な ものを 選べ。
〔問5〕
国語の 授業で この 文章を 読んだ 後、「自分の 意志を もつ こと」と いう テーマで 自分の 意見を 発表 する ことに なった。この ときに あなたが 話す 言葉を 具体的な 体験や 見聞も 含めて 二百字 以内で 書け。なお、書き出しや 改行の 際の 空欄、や や なども それぞれ 字数に 数えよ。
次の A 及び Bは、それぞれ 夏目 漱石の 漢詩に 関する 対談と 文章の 一部で あり、内の 文章は、Bの 漢詩の 現代語訳で ある。これらの 文章を 読んで、あとの 各問に 答えよ。(*印の 付いて いる 言葉には、本文の あとに 〔注〕が ある。)
(陳 舜臣、石川 忠久 「漢詩は 人生の 教科書」に よる)
(3)この 詩は 大正五年 九月三日の 作で、当時 小説 『明暗』を 執筆中の 漱石は、*俗了 された 心持を 洗い流す ために 漢詩を 作った もので ある。漱石に とって、大きな 救いと なったで あろう ことは 想像に 難く ない ところで ある。
私は 世間と 妥協 する こと なく、孤独の 人生を 歩んで 来た。山中の 生活も 久しく なって (4)今では 方角さえ わからない。真昼 静かな 岩の ほとりには もくせいの 花が こぼれ、月の 明るい 手すりの 外には 谷川の 鳥が 夜も さえずる。人の 道も 私心を 去れば 天の 道と 一致 しよう。時間に もし 私意が あると したら、季節も 混乱 して しまうだろう。この ひっそり した 山中の、*閑適な 暮しの あたりには、名も 知れぬ 草が 生い茂って、古い 小みちを おおいかくして いる。
(和田 利男 「漱石の 漢詩」に よる)
〔注〕
加賀江戸 時代に 加賀国 (石川県)、能登国 (石川県)、越中国 (富山県)を 領有 した 藩。
東大の 予備門東京 大学に 入学 する 前の 準備 教育 機関。
『唐詩選』唐代の 漢詩 選集。
俗了俗っぽい 気分に なる こと。
閑適な心 静かに 安らかな こと。
〔問1〕 文中のを 付けた ア~エの 修飾語の うち、被修飾語との 関係が 他と 異なる ものを 一つ 選び、記号で 答えよ。
〔問2〕 (1)日本の 古典と 漢文とを 車の 両輪のように ずっと やって きたと いう 特殊性が あった。と あるが、ここで いう 「日本の 古典と 漢文とを 車の 両輪のように ずっと やって きたと いう 特殊性」に ついて 説明 した ものと して 最も 適切なのは、次の うちでは どれか。
〔問3〕 (2)陳さんの 発言の この 対談に おける 役割を 説明 した ものと して 最も 適切なのは、次の うちでは どれか。
〔問4〕 (3)この 詩は 大正五年 九月三日の 作で、と あるが、その 当時の 漱石の 漢詩に ついて、Aの 対談では どのように 述べて いるか。次の うちから 最も 適切な ものを 選べ。
〔問5〕 (4)今では 方角さえ わからない。と あるが、Bの 漢詩に おいて 「今では 方角さえ わからない」に 相当 する 部分は どこか。次の うちから 最も 適切な ものを 選べ。
(1) 繕う つくろ(う)
(2) 舞 踊 ぶよう
(3) 若干 じゃっかん
(4) 惜 敗 せきはい
(5) 紛れて まぎ(れて)
※ に ついて、読みがなは、ひらがなでも かたかなでも よい。
(1) ヒロう 拾う
(2) キョウリ 郷里
(3) キンム 勤務
(4) チュウサイ 仲裁
(5) イキオい 勢い
※ に ついて、(2)は 「」にも、(3)は 「」にも、それぞれ 点を 与える。
〔問1〕 ウ
〔問2〕 イ
〔問3〕 エ
〔問4〕 ア
〔問5〕 エ
〔問1〕 イ
〔問2〕 エ
〔問3〕 ウ
〔問4〕 ア
〔問5〕
習い事を 選んだ 理由を 友達に 聞かれ、「ピアノが 好きだから。と 私は 答えました。しかし 改めて 考えると、幼い 頃に ピアノを ひいて いる 母の 姿を 見て、私も 母のように ひきたいと 思った ことが きっかけだと 気付きました。
自分の 意志で 決めたと 思って いた 選択には 母の 影響が ありました。私は 今、ピアノに 関わる 仕事に つきたいと 考えて います。今後も 様々な 人から 影響を 受けると 思いますが、自分の 意志を 大切に して いきたいと 思います。
〔問1〕 エ
〔問2〕 ア
〔問3〕 イ
〔問4〕 ウ
〔問5〕 イ